落語のまくら 4代目桂三木助
三木助はご存知ですか?
才能は普通でしょうが、将来を期待された噺家でした。
江戸落語の継承者で、早くに亡くなりました。
今日は三木助の話
いつものように
1.生い立ち
2.人となり
3.持ちネタ
4.まくら
の順で行きますので、よろしくお願いします。
1.生い立ち
4代目 桂 三木助(かつら みきすけ)
1957年3月29日〜2001年1月3日
日本の日本の落語家。
東京都北区端出生まれ
本名 小林盛夫(こばやしもりお)
出囃子は「つくま」
三代目桂三木助は父
柳家小さん師匠のところへ前座弟子入りをするも、三木助の息子というのもあったろうか、ほとんど前座らしい修行はしていない。また、通いの弟子であったにもかかわらず、時間通りの通いもせず、重役出勤だったそうで、ほかの前座からは、あの人は宇宙人だから、と揶揄されていた。
前座修行をほとんどしてないということは、功罪両面があり、暗さや卑屈さがなく、サラブレッドとしての屈託のない明るさがタレントとしての成功にはつながった。
しかし、小さん一門や落語家社会からの反感は強く、修行体験で古典落語を身体に沁み込ませず、それでも古典落語を無理にやろうとしていたので、専門家やファンからの評価が低く、修行全般を避けてきたので、精神面は脆いという致命的なデメリットもあった。
二つ目時代
御曹司、一流大学出身、寄席に外車で乗り付け、隣に女性をはべらせる…というイメージを隠さずにむしろ強調し、「落語界のシティーボーイ」とキャッチフレーズもつき、次世代のホープとして注目された。
二つ目になってから3年後、11983年(昭和59年)度のNHK新人落語コンクールに出演。『湯屋番』を演じ、優秀賞を受賞する。
三木助襲名
翌年に26人抜きで真打に昇進して4代目桂三木助を襲名した後は、落語家の仕事を中心にした。演芸番組を除いてはテレビから遠ざかり落語に専念するようになる。理由として、胃の摘出によって体力的に衰えを自覚したことと言っている。
江戸落語の若手発掘・自身も含めた中堅世代のスキルアップのため、数々の寄席や落語関連のイベントで奔走する。
同年の9月には「三木助ひとり会スペシャル」という昼夜の独演会を開催た。
また、三木助は元来上方の名跡である事から、桂米朝にも幾つか噺を教わり精進を重ねた。父がかつて芸術祭賞を受賞した芸術祭に対しても意欲を示し、1996年(平成8年)は不参加であったものの、1997年(平成9年)には演芸部門優秀賞を受賞した。さらに、父の十八番であった『芝浜』も習得しようと励んでいた。
2.人となり
交通事故にあって以来、スキャンダラスに取り扱われることが多く、自嘲的にお騒がせ噺家と名乗るなどしていた。
交通事故にあって以降、三木助は奇行が目立つようになり、寄席に遅れたり、無断で欠席するようになった。たとえ寄席に出ても楽屋でも身だしなみにこだわらなくなった。また、周囲の人々に、父親の年まで生きられず、30代で死ぬかもしれないことや、死んだらかつて一緒に遊び回っていた病死したり自殺したり変死した仲間と再会出来るということを口にするようになった。
かねてから「三木助」の名に重圧を感じており、うつ病にかかっていたなどの憶測が流れたが、このような言動の背景には、胃の手術によって体に変調が表れやすくなったことや、長年の付き合いのあった友人に裏切られて金銭問題を抱えたことがある。
2001年1月2日に開催された5代目小さんの誕生パーティを無断で欠席した三木助は、その翌日に自宅で首を吊っている姿が発見される。病院に救急搬送されたが、死亡。この時、遺書には「か 自分でも整理がつかないと同時に私の力のなさを痛感する」と書かれており、文字はかなり乱れていたという。冒頭の「か」の意味は明らかにされていない。
林家こぶ平などの親しかった落語家たちにより、三木助を送る会『さよなら!ミッキー』が催された。このとき小朝は「もし生き返らせることが出来るなら、生き返らせたい」と発言している。
3.持ちネタ
「死ぬなら今」という演目がある。この落語のサゲは「死ぬなら今(です)」。この演目は、下げがあからさまに示されており、下げが演題になった珍しい噺です。
三木助はこの噺を十八番としてました。
元々は上方の話であり、江戸落語でこの噺を引き継ぐ珍しい噺家でした。
他には
お化け屋敷
ねずみ
百川
浮世床などを持ちネタとしている。
4.まくら
実際の三木助のまくらは、お聞きになると面白い。
しまいの方は自虐ネタが多くなってますが。
「ねえ、パパ。知ってた?うちのワンちゃん。とーっても賢いの」
「どうして」
「だってほら。いまあながた読んでるその新聞、今朝もあのこがとって来てくれたのよ」
「ふうん。でもその程度の犬なんて、世間にはいくらでもいるんだろ」
「うち、新聞とってないじゃない」
なんてのもあります。
さて、三木助は、才能が溢れている噺家ではありませんでしたが、才能が欲しかったんだろうと推察できます。
私みたいに、背伸びをしすぎたんですよね。同い年なんですよ。
身の丈に合った生き方をしましょう。
あっ、説教臭くなった。
ではまた明日。